息子が発達障害、夫は自閉症、私はADHD。できていたことができなくなって家計が破綻。障がい者として生きる決心をして障害年金と生活保護(保障)利用で堂々と生きる。

息子が発達障害、夫は自閉症、私はADHD。できていたことができなくなって家計が破綻。障がい者として生きる決心をして障害年金と生活保護(保障)利用で堂々と生きる。

【性別】女性
【年齢】(金欠だった当時)
42歳
【職業】(金欠だった当時)
レストランホールスタッフ 保育士

【住まい】(金欠だった当時)
分譲マンションにて夫と息子との三人暮らし。
しかしローンが払えなくなり競売にかけ。
そこから賃貸アパートへ引っ越し。





【金欠になった原因】
夫がそれまで勤めていた会社の社長が亡くなり、仕方がなく会社を引き継いだが、経営手腕がない上に息子に発達障害が見つかり、療育のため夫婦で走り回っていたため家族ぐるみでパニックになり気が付いたらすべての経済が破綻していた。
子どもの発達障害が判明したのと同時期に夫も自閉スペクトラム症でうつ病とパニック障害を発症していた。
わたしもADHDと双極性障害を発症していて、躁状態で大きな買い物を繰り返すなどしていた。




【金欠当時の心境と自尊心】
生活費を引き出そうとATMへいったものの残高不足で引き出せず、夫を問い詰めると会社関係の取引に使ったと言われ、生活はどうするんだ!と思った。
そういうことが始まりで生活費が足らず、わたしがダブルワークで働きだしたが働いても働いても追いつかず、息子は自閉症と診断され先の暮らしが全く見えなくなり、泣きながら大声で笑ったり、躁状態で眠ることなく活動してもへっちゃらだったりした。
とにかく先行きが真っ暗で何も見えず、どこに何を相談すればいいのかわからずただただ不安だった。

【金欠当時の食生活】
元々家では貧乏飯だったので、家で普通に食べる分にはあまり困らなかったが、外食がほとんどできなくなった。
家庭内では牛肉が食べられず、形の有るお肉の薄切りは買わず、こまぎれや切り落としばかり使うようになった。
いわゆるちょっとお高めの高級食材とは全くご縁がない。
食費を浮かすために食事は一日2食。
買い物に行ったら特売品のみを買って自炊をする。

【金欠当時の日常生活】
家電製品が壊れたからといって新しいものを買うことができず、炊飯器が壊れた時は普通の鍋でご飯を炊いた。
お風呂はシャワーのみで済ませる。
ヘアケアやスキンケア商品のグレードがどんどん落ちていった。
ヘアカットは一年に一回で済むようにカットする時にはベリーショートにしてもらっていた。
世間一般がIoTがどうのこうの言っている時代にそんなものを導入するなんてことはまず無理である。




【金欠当時の人間関係】
経済的に苦しくなり、障害年金や福祉のお世話になるようになってからは自分の体調もすぐれなかったこともあり、人と会うとお金が掛かる、人との付き合いがしんどい、ということでそれまであった人間関係をほとんど整理して必要最低限の付き合いしかしなくなった。
なので同窓会など「リア充」集まりの会合はすべてスルーした。
年賀状を送るのもやめた。




【金欠当時の仕事】
仕事は昼間にレストランのホールスタッフと夜間保育園の保育士のダブルワークをしていた。
どちらもパート内務勤務だったので二つ合わせて10万円程にしかならず、保育士の仕事に関しては専門職でありながら常勤で正職員で給与が保証されているという求人がほとんどなかったので、公立保育園の臨時職員という扱いで勤務していた。
官製ワーキングプアにどっぷりハマっていた。
夫の仕事はこちらから見てる限り訳の分からない状態だったので、障害がわかって一定期間が経った頃に障害年金を受給する手続きをとり、受給することになったがそれでも生活が良くなることはなかった。




【相談と助けてくれた人】
誰にどう相談していいのかが分からなかったが、息子の児童クラブ時代のママ友さんで市会議員、県会議員という人がいて、その議員さんの党の「なんでも生活相談会」というチラシを見て思い切って議員さんの事務所を訪ねて行ったら、その困窮の具合は生活保護レベルだからすぐに市役所に行こう、と市役所の生活福祉課に連れて行ってもらった。
福祉課の職員さんとの面談の中で「これは国民の誰もが受けられる権利があるものだから、堂々と保護を受けて生活を立て直してください。
と言われて、しんどい時は「助けて」と言ってもいいし、助けてもらえるんだと思うと本当に助かったと思った。




【現状】
今も金欠が続いており、生活に困っている

【転機ときっかけ】
家族全員が障害者ということで、障害年金とそれを補う形で生活保護(保障)を利用している。
障害や病気と付き合いながらの生活なので一般就労はなかなか難しい。
夫は障害年金から老齢年金に変わったが、生活水準は相変わらず低いままで暮らしている。
若い時に一生懸命働いて税金や健康保険、年金をたくさん支払っていたのにいざ自分が障害者や高齢者になった時にもらえる年金が少なすぎる。
一般就労はかなわないものの障害者の就労支援B型事業所と出会いそこで週に2回通って、数千円でも工賃をもらうようになり、自分のために使えるお金を手にするようになれた。
これは本当に嬉しいことである。




【現在の状況と心境】
健康で文化的な最低限度の生活の保障がされてるとはいうものの、その実情は今の世相にはあっておらず、年金も保護費も引き下げられているのに物価は上がり続けている。
ことしは特に灯油が高くて買うことができないでいる。
そんな中B型作業所に通うようになって人間関係も広がり、自分の能力の可能性も知る事が出来た。
一般就労並みに働くことはできないが、自分のペースでゆっくり働けることはとてもうれしい。




【学んだこと】
生活の事、健康の事、あらゆる困りごとに対して相談できるところが必ずあるので、それを探して調べ上げて、医療と福祉と公的機関に繋がることが大事。
自分自身を認めて変なプライドを捨てて障害と向き合うことで道が開けた。



【当時の自分へのアドバイス】
年金や保険、税金の仕組みなど、生きていく上で実はとても大事なことをしっかりと知ること、勉強すること。
具合が悪くなったと思ったらためらうことなく病院に行くこと。
精神科は敷居が高いと思うけど、結局そこにかからないと何も解決しない。
精神科にかかることは恥ずかしいことではない。
そして年金や生活保護(保障)を利用して生産性のない生活をしていても、自分の人権は守られるべき。
堂々と生きてるだけで十分値打ちがある。